中川繁夫の写真と文章

中川繁夫の写真と文章です。

フォト日記

フォト日記-23-

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フォトハウス表現塾HP
昨日のことです、ここは京都、鳴滝の音戸山、その南側にこの御陵があります。
昨年、迷い迷いしながらここへ辿りついたけれど、二回目だから要領よく来れました。
道路からは見えなくて、ゆるゆる上って曲がってみると、この光景になります。
青空で、温かい昼下がり、正面の階段を上り、古墳のまわりをぐるっと回りました。
宮内庁が管理の場所は皇族関係、ここは文徳天皇〇〇陵と表記されています。
皇族でない古墳は、こんなに整備されていなくて、荒れているところもあります。

前にも書いた記憶がありますが、この御陵の傍に保田與重郎の家屋があります。
文学史では日本浪漫派を、どうなんでしょうか主宰した人物といえばよろしいか。
学んできた文学史では、その内容にほとんど触れることがないままに、来ました。
日本が戦争の渦中で、なにか役割を果たしたのか、戦後には排除されたのか。
いまもって、不勉強のぼくには、その詳細は分からないところですが、興味ありです。
ぼくは日本賛美ではありませんが、日本に生まれ育って今、自分の風土探しの最中です。

昨日は、音戸山、ぐるっとまわって山越道のほうへ出ました。
千代の小道と名付けられている道があるんですが、その石碑がありました。
千代の小道とは、その昔、京都の市中から嵯峨方面へ行く道のことですね。
御室仁和寺へ戻って、境内に入って、裏へ出て、山に入って、竜安寺へ出ました。
竜安寺の裏に、三つ並んだ天皇陵があって、それを撮るのを目当てに行きました。
今回は、コンデジG5Xをメインカメラにして撮影で、スマホカメラは補助にしています。
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フォト日記-22-

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花山天皇陵というのが自宅から一番近い御陵です。
紙屋川の西側、鞍馬口より南になる処に、この御陵があります。
昨日、今日載せる写真がないので、帰り道に立ち寄って、撮影したところです。
これまでにも、何度か撮影している処なので、新鮮味はありませんが、この通りです。
天気が、晴れなら、バックが青空になるし、曇りだとダークな真っ白になります。
その場に居合わせたときの気象条件で、写ってくる光景が違うわけです。
撮影は、一回限りではなくて、何度も行き慣れることで、分かることもあります。
自分の感性にしっくりとはまってくる、といえばいいのかも知れないです。
気に入った場所だから、継続して、撮影できる、ということも言えますから。
自分への納得、というところで折り合いをつけていきます。
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フォト日記-21-

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自称作家であるぼくは、たぶん世には認められていない作家だと思っています。
というのも作品を発表して〇〇賞とかには縁遠い存在だから、そう自認しています。
でも、しかし、作品を創り続けるということは、実践しているところです。
過去の実績をもって、作家を装うのは、作家としてどうかと思っているところです。
賞を取ることで評価されるというのは、間違いとは言わないが、それだけだろうか。
賞を取るために努力をする、これは一理あると思うが、内容はそうではないでしょ。
流行にのった作品は、後世に残らないじゃないですか、そうではない作品、これです。
この世の底流に流れていると思われるテーマを提示したとき、できたとき、真作品です。
ぼくなんか、そんなところへまで、作品が昇華していないと思うから、偽作品レベルです。
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フォト日記-20-

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この二月になって、京都の西北部、嵯峨野・太秦古墳群を採取に出かけています。
甲塚古墳という場所へ行ってみると、石室に繋がる洞穴前には鳥居が設置されていました。
奉納甲塚町有志と書かれているから、この町内の有志の方が建てられたことがわかります。
なによりも私有地のなかにある古墳で、この土地は会社か個人の所有ということでしょうか。
古墳にも、いろいろなレベルがあるんだなぁと、思っています。
まったく詳しいことはわからないんですが、ヒトの気持ちが伝わってきます。
やっぱり、神聖な場所なんだ、と思えるのです。

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フォト日記-19-

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ここに日本寫眞記を連載していましたが、そのシリーズ、(1)と(2)を終えました。
もくろみとしては、日本歴史が始まる前後のイメージを追っていて、今につなげること。
殺風景な風景の連続で、色艶を表す赤系が少ないので、うんざりしていました。
天があり、地があり、水があり、そこに人がいて、自然から感じる情というもの。
今は、人間が創りだした道具で、そういう自然に触れる生活はあまりしていません。
いいえ、感覚が、そのことを感知しない、いいえ、意識しない、ということでしょうか。
プリミティブな、といえばよろしいか、原始の環境における人、人間の意識ですね。
そういうところに興味を持ちだして、原始の感覚を探ろうと思っていたところです。
寫眞という静止画で、視覚に訴えるわけですが、そんなん無理や、といわないで。
試みとして、何を感じるのか、感じたとして、伝えることができるのか、交感、共有。
難しいですね、たぶん、そういう試みが、不能な時代なのかも知れませんね。
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フォト日記-18-

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毎年節分祭には、老若男女で賑わうスポットを巡っていくことにしています。
今年もまた、近くの神社仏閣を訪ねていきました。
巡るのは、生まれ育った京都の北西、西陣界隈から壬生寺あたりまでです。
今年は吉田神社を外したかわりに達磨寺から巡りはじめました。
巡った順番は、達磨寺、元祇園椥神社、壬生寺、釘抜地蔵、千本えんま堂。
三時前から雨がぽつぽつしてきたから、千本釈迦堂へは行きませんでした。
庶民というか、市井の生活者が、神仏に守られている感じの風土です。
いずれも古い神社仏閣です。
こういう環境を持ったなかで、生を育んだ人々の、心理を探索している感じです。
近代は、人は移動するから、その地に育つ心理なんてことはないのかも知れない。
ああ、やっぱり宗教が、基底にある文化だなぁ、とつくづく思うところです。
宗教とはなにか、なんてここでは問わなくて、宗教心、信仰心、人の本質でしょうか。
まあ、この歳になってくると、あの世のことが気にかかる、そういう心境ですね。
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