寫眞と文

中川シゲオの寫眞と文章です。

フォト日記

フォト日記-20-

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中川繁夫のホームページ
この二月になって、京都の西北部、嵯峨野・太秦古墳群を採取に出かけています。
甲塚古墳という場所へ行ってみると、石室に繋がる洞穴前には鳥居が設置されていました。
奉納甲塚町有志と書かれているから、この町内の有志の方が建てられたことがわかります。
なによりも私有地のなかにある古墳で、この土地は会社か個人の所有ということでしょうか。
古墳にも、いろいろなレベルがあるんだなぁと、思っています。
まったく詳しいことはわからないんですが、ヒトの気持ちが伝わってきます。
やっぱり、神聖な場所なんだ、と思えるのです。

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フォト日記-19-

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ここに日本寫眞記を連載していましたが、そのシリーズ、(1)と(2)を終えました。
もくろみとしては、日本歴史が始まる前後のイメージを追っていて、今につなげること。
殺風景な風景の連続で、色艶を表す赤系が少ないので、うんざりしていました。
天があり、地があり、水があり、そこに人がいて、自然から感じる情というもの。
今は、人間が創りだした道具で、そういう自然に触れる生活はあまりしていません。
いいえ、感覚が、そのことを感知しない、いいえ、意識しない、ということでしょうか。
プリミティブな、といえばよろしいか、原始の環境における人、人間の意識ですね。
そういうところに興味を持ちだして、原始の感覚を探ろうと思っていたところです。
寫眞という静止画で、視覚に訴えるわけですが、そんなん無理や、といわないで。
試みとして、何を感じるのか、感じたとして、伝えることができるのか、交感、共有。
難しいですね、たぶん、そういう試みが、不能な時代なのかも知れませんね。
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フォト日記-18-

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毎年節分祭には、老若男女で賑わうスポットを巡っていくことにしています。
今年もまた、近くの神社仏閣を訪ねていきました。
巡るのは、生まれ育った京都の北西、西陣界隈から壬生寺あたりまでです。
今年は吉田神社を外したかわりに達磨寺から巡りはじめました。
巡った順番は、達磨寺、元祇園椥神社、壬生寺、釘抜地蔵、千本えんま堂。
三時前から雨がぽつぽつしてきたから、千本釈迦堂へは行きませんでした。
庶民というか、市井の生活者が、神仏に守られている感じの風土です。
いずれも古い神社仏閣です。
こういう環境を持ったなかで、生を育んだ人々の、心理を探索している感じです。
近代は、人は移動するから、その地に育つ心理なんてことはないのかも知れない。
ああ、やっぱり宗教が、基底にある文化だなぁ、とつくづく思うところです。
宗教とはなにか、なんてここでは問わなくて、宗教心、信仰心、人の本質でしょうか。
まあ、この歳になってくると、あの世のことが気にかかる、そういう心境ですね。
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フォト日記-17-

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高校生の時に、友だちから、太秦に石が剥き出しの古墳がある、との話を聞きました。
それが蛇塚古墳のことで、当時の周辺を見たことはなく、行くこともありませんでした。
その蛇塚古墳を探して行ったのは昨年の夏前のことです。
古墳はフェンスで囲まれていて、数メートルの道路があって、新興住宅のなかです。
あらためて写真を撮りに行ったのです。
太秦のこの界隈は、映画の撮影所があったあたりで、松竹撮影所の南になる場所です。
撮影所ができる前は、まだ住宅地でもなく、どんなのだったろう、草地か、畠だったかも。
帷子ノ辻という処が、思い出のある場所で、いつもその頃のことを思い出します。
1963年ころだから、もう55年も前の話になる、嵯峨野を巡るのは、それが底辺にあるなぁ。
高校が嵯峨野高校と決まって、そこからがぼくの精神史の始まりなのかも知れないなぁ。
いろいろ思いを巡らせながら、取材を続けていきたいと思う、あらためて思いますねぇ。
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フォト日記-16-

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先日から、市中へ出て、神社仏閣を訪ねてみようと思いだしています。
昨日は、五辻通り、北野天満宮の東門前が起点になるんですが、そこから東へ。
七本松から千本へいく途中に千本釈迦堂があり、そこで取材して、再び東へ。
目的地は雨宝院です。
詳しい由緒はわからないというより、頭に入ってないんですが、狭い境内です。
弘法大師が821年、嵯峨天皇の平癒を祈願して聖天像を安置した、と書かれています。
そういえば釘抜地蔵も弘法大師が建立というから、この界隈弘法大師だらけです。
雨宝院訪問中、詩人のSさんから電話があり、びっくり仰天、何十年ぶりだろう。
春には境内に桜があふるるばかりに咲く雨宝院ですが、今の時期、訪問者は少ない。
まもなく節分ですね、今週の土日だ、土曜日はフォトクラブ京都の例会です。
だから取材は2月3日の一日だけになるかと思うけど、取材自体あまり気乗りしないなぁ。
なんか写真撮るの、人がいる処で撮るのが、めんどくさくなってきた感じです。
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フォト日記-15-

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北野天満宮は自宅の近くだから、生まれ育った京都のなかでもいちばん親しい神社です。
菅原道真を祀った天神さん、全国にその関連の社があるように見受けます。
道真が悲運の人だから、現代においても、なにかと話題になる人物なのかも知れません。
京都では、北野社、と呼んでいたのでしょうか、その記述によく出会います。
ぼくも、自分の京都風土記を想うとき、その中心となる社は、北野社です。
千本中立売から西へくると、一条通りと合流でしょうか、そこが下之森。
下之森というのは、北野天満宮の境内へいく参道の南の界隈です。
ぼくが子供の頃には、鳥居があったように思います。
そこから縁日には露店が並ぶ、今は参道ではないので、露店は御前通りです。
この界隈を舞台に、半世紀ほど前の風物を想起しながら小説を書いています。
「愛の物語」と題していますが、その途中で行き止まっているところです。
写真は、現在の北野天満宮、合格祈願などのお札をおさめる処です。

フォト日記-14-

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平安京が造営されるときに基点となったのが船岡山だといわれています。
この船岡山には、明治になって祀られた建勳神社が東側にあります。
織田信長が祀られているというので、興味半分、興醒め半分で、何度も訪れています。
昔の朱雀大路、今の千本通り、その正面に船岡山が位置しています。

応仁の乱のときには西軍の陣がこの山に置かれたといいます。
ここから南一帯を「西陣」と呼んでいますが、これが始まりというのです。
船岡山の西側は千本通りで、蓮台野をこえ、鷹峯へいく街道です。
北には、今宮神社があり、京都の風水に基づく北の方角、封印する神社ですね。
この界隈、平安京の時代に遡って、イメージすると面白い気がします。

京都北物語、なんて表題で、この界隈を日本の起点にして発想しています。
フォトハウス表現塾を主宰していますが、この場から世界に向けての発信です。
現代表現研究所、フォトクラブ京都、カフェ&プレス、写真ワークショップ。
このシステムを支える思想の拠点が「フォトハウス表現塾」のコンセプトです。
ぜひ、ご注目を、また、共に作り上げるメンバーを公募しています。
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フォト日記-13-

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京都は嵯峨野一帯に古墳が点在している、と知ったのは昨年の初めごろだったと思います。
二十歳のころに古代史に興味があり、邪馬台国を巡る論争を、読んだものでした。
その当時は、畿内説と北九州説があり、どちらが本当なのか、とのクイズ。
半世紀後の今、2019年ですが、やっぱりまだ決着がついていない、と知ります。
でも、邪馬台国論争は置くとして、嵯峨野の古墳群は、太秦地域に始まると思う。
掲載に使った写真は、嵯峨にある俗称でしょうね狐塚古墳と呼んでいる古墳。
だれの墓なのかわからない、現地にはなんの説明もなく、立て札もない。
でも石棺部分が封印されているけど、見ることができるから、明らかに古墳です。
これらが、いつ頃につくられたのか、ぼくは詳しくは知らない素人です。
大阪の堺や奈良の飛鳥よりも後なのか、あるいはそれらと平行するのか、分からない。
規模が、それほど大きくないから、この地域を治めた豪族の長の墓の様ですね。
嵯峨の山ぎわへいくと、天皇陵、それらしき陵が嵐山の天竜寺から奥嵯峨。
それから宇多野、仁和寺、竜安寺の山へと点在していることが、歩いてわかりました。
まだ、もう少し、歩いて、写真に記録して、自分なりにまとめたいと思うところです。

フォト日記-12-

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三条商店街へ赴いていきました。
三条商店街というのは、御池三条から千本三条までの間の商店街のこと。
ぼくが幼少の頃、壬生馬場町という処に住んでいて、その近くの商店街です。
記憶に残っているんです、昭和25年とか26年、1950年頃の記憶です。
写真、右にみえるスーパーは、当時、映画館でした。

それにしても、年末の土曜日の午後だというのに、人が疎らです。
店を開いていらっしゃるお店も歯抜け状態になっているんじゃないですか。
懐かしい気持ちで通り過ぎてきましたが、なんとも侘しい気持ちになりますね。
いよいよ年末もあと二日で大晦日、翌日には新年、2019年、元号は平成のまま。
第九を流しだしましたよ、まだ第一楽章のところですが、聴きます。


フォト日記-11-

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フォトの続きでいえば、圓融天皇陵を撮ったのが最後です。
この写真を、フォトシリーズに入れるかどうか迷っていました。
といいうのも山の中にある天皇陵でまとめようと思っているからで、これは外していました。
フォトの連載を始めたときには、太秦と嵯峨野の古墳までと思っていました。
それでも最初はその気もなかったので嵐山から入りました。
その後になって、天皇陵を加えだしたのですが、平地の御陵は入れていないのです。
それはそれで別のシリーズで作りたいと思っているところです。
フォトというタイトルで古墳や天皇陵を編むというのは、ぼくの未整理心情のせいです。
神話から始まるこの国のこと、まだぼくのなかでフィットしてこない領域なのです。
でも、フォトシリーズで眺めている間に、しだいにフイットしてきた感があります。

フォト日記-10-

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歩いていると、石柱の道標が、けっこうあちこちにあるのに気づきます。
いつの頃に建てられたものか、年月が入っているのもありますが、ないのもある。
街道の分岐点とかに指示があって、それに沿って歩くと目的地、ですね。
今なら道路の上にある表示板、車にはナビがあり、スマホの地図があります。
この石柱、左、嵯峨天皇のい参道、後宇多天皇陵から長刀坂を経て高雄へ。
この標識の所在は、大覚寺の西で、清凉寺の方から来たら、この標識です。
左に曲がって、山に沿って、山に中に入って、高雄を経て美山へ行く道になる。
昔の旅人は、歩いてやってきたんでしょうね、ぼくも歩くようにしています。
歩きながら、空想を巡らせて、その空想はすでに見たことがある絵とか図版です。
いまは、写真もその役割を担っているのか、と思うところで、写真を撮っています。
では、また、ね。

フォト日記-9-

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なんのことはない、これはビーフカレーライスです。
COCO壱番屋というカレーのお店がありますが、そこで初めて食べました。
カレーは好きだからよく食べますが、外食では食べません。
外食で食べるのはカレー丼、カレーうどん、お茶碗に入ったのは食べますが。
気になっていたんです、チェーン店だし、現代食文化の一角だと思うし、です。
皿のカレーっていうのは家庭料理で、子供の頃はハイカラな食べ物でした。
カレーは、家で作って食べるもの、という固定観念があって、食べられなかった。
美味しかったですよ、いろいろな種類があって、ビーフカレーにしました。
誰かさんが美味しかったと書いている記事を読んで、食べなきゃ、と思ったわけ。
そういえば、これから食べる昼、インスタントのカレーラーメンを用意しています。
このあと食べます。
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