寫眞と文

中川シゲオの寫眞と文章です。

2018年09月

愛の夢-20-

-20-
 伏見から向日町へ行くには、久御山まわりか京都市内まわりの方法がある。聖也が運転するベンツは、京都市内を経由して国道171号へ入るルートを取った。志保は、教習所に通って運転免許証を大学に入った年に取った。だけど、ひとり暮らしをしているから、ペーパードライバーだ。兄の聖也は運転しながら、酒造会社の経営のはなしを持ち出した。というのも、志保が大学を卒業したあとの進路について、聖也がどうするのか、と訊いてきたなかで、会社の事務をやってもいいけど、との話題で、志保から仕掛けた話だ。ベンツで夜の市内を走りながら、運転している聖也が、助手席の志保に云う。
「まあ、な、同族会社だから、経理担当ってところだろうな」
聖也は、志保が家業の酒造会社で事務することを否定はしなかった。
「でも、よそで体験してきて、三年ほどな、それからだろうな」
「そうね、そうかもしれない、甘えちゃいけない、そうよね」
「そうそう、だけど、やばいんだよ、会社、なかなか」
酒造会社の専務職にあり、実質、この先、社長になる聖也だ。どちらかといえば研究者肌で経営は余り得意ではない。経営指南を受けるためには経理事務所に世話になっているが、これは後処理の事務のこと。経営戦略をどうするか、という企業存続の根底のところを、どうするのかということ。
「志保は芸術家だから、経営なんて、わかんないから、しやないけど」
「わかんないよ、そんなの、わたしには」
「やばいんだ、資金繰りだって、銀行は融資を渋るしなぁ」
ベンツは志保がいるマンションの前で止まり、降ろされ、バイバイして、ワンルームの部屋に戻った。ベンツの柔らかいシートに揺られて、気落ち良かったからか、志保はドアをあけ、部屋にはいり、リラックス気分だ。
<パパに会い、ママに会い、真紀に会い、兄ちゃんに会った>
<みんなで食べたバースディケーキ、美味しかった>
志保は、からだの何処かから、無性にムラムラが湧いてくるのがわかる。
<どうしたのかしら、ケーキ食べ過ぎたから、やろか>
空調を入れ、部屋の空気を乾燥させる。洋服を脱ぎ、スリップ姿になり、鏡に自分の姿を映してみる。自分の姿に見入りながら、手が乳房にまわり、お腹の下に降りてしまう。
<お風呂にしようか、だめよ、どうしたのよ、いけないわ>
ひとりごとは頭の中だけで、声になって外には出ていない志保の声。自分のからだが、なにを要求しているのか。淡白なはずの性欲が、あたまをもたげてきているのだ。
<ああん、いやねぇ、あなたって、だめね、ゆうことききなさい、ああっ>
右の手がショーツの中に入ってしまって、指が股間をまさぐりはじめる。胸のもやもやつっかえを、解消してあげないと、からだが浮いてしまう。志保は、まま、こういうことになって、ひとり、ため息をつきながら、果てていくのだ。果てたあとには、お風呂を入れ、ショートカットの髪の毛を洗い、ボディソープでからだを洗い、ゆっくり長湯をしてからだを休めるのだ。

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愛の夢-19-

-19-
 ピアノに蓋をした志保は、まだ自分が持ち主のこの部屋のソニーのオーディオセットにスイッチを入れる。
<ああ、センチメンタルだわ、いけないわ、だめよ、ねぇ>
感傷的になっている気持ちを、消そうと思って、高校の時に買い集めたCDをセットする。ピアノの曲集で、ショパンやシューベルトやリストの名曲ばかりの選集だ。ショパンのノクターン、感情が揺すられてきて、志保は心のなかで涙ぐむ。ノクターンが終わって、愛の夢が流れ出す。リストが作曲の、志保が好きな曲だ。
<どうして、わたし、裕ちゃんと、別れて、しまったの、かしら>
<卒業、裕ちゃん、大学は、東京よ、わたし、ついていけなかった>
静かな部屋、グランドピアノが部屋の半分を占めている志保の部屋。可愛い木でできたベッドがあり、ベアのぬいぐるみがある。小学生のときから使っていた勉強机があり、椅子がある。
「おねえちゃん、入っていい」
ドアをノックする音とともに真紀の声がしたので、志保は、入っていいよ、と返した。ドアが開き、真紀が入ってくる。高校三年生だ。東京の私大だけど演劇ができる大学をめざしている。
「受験勉強してるんでしょ、偏差値は大丈夫なの」
「大丈夫だよ、入れると思う、東京住まいする、おねんちゃん、遊びにおいでよ」
「なによ、まだ決まったわけじゃないのに、わかんないじゃない、そんなの」
志保は、遊びに行きたい、と思った。リストの愛の夢が収録されたCDを手に入れたのは、好きだった大野裕一が一緒にいた時だった。志保の誕生日に、裕一がバイトで貯めたお金で買ってプレゼントしてくれたのだ。裕一は東京の有名私大に合格していった。裕一からみれば凡人が勉強する関西私大の社会学部に入学した志保だ。別れるしかなかった。その裕一のことを、志保は、ことあるごとに思い出すのだった。思い出してもそんなに激しく感情が揺すられることは、もう過ぎ去ったけれど、思い出は、まだ完全な思い出にはなっていない。
「おねえちゃん、バイトしてるんやろ、ウエイトレス」
「ちょっとだけね、おこずかいだけ、あとはママからもらう」
「仕送りしてくれるよね、ママ、学費ローン、使う子もいるけど」
「わたしは、ママとパパが出してくれるから、ローンしてない」
「わたし、東京、行ったら、バイト一杯しないとだめよね」
「それ、真紀、ママと交渉しだいよ、出してくれるとおもうけど」
志保のシックな気持ちとは裏腹な、現実的な話を仕掛けてくる妹の真紀。母が一緒の妹だ。兄の聖也は年が十歳も離れており、母が違うから、それほど親しくない感じがする志保だ。その日、夜遅くになって、誠也が向日町まで送ってくれることになって、志保は、自家用車ベンツの助手席で、夜のドライブをさせてもらった。

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愛の夢-18-

-18-
 志保は、三つ年下の妹、真紀の誕生会をするから、というので実家に帰った。実家は伏見桃山に200坪の土地に建つ和洋折衷の家屋だ。中堅の酒造会社を経営する家系で、兄の聖也は大学でバイオを学んで、家業を継ぐ手筈になっている。聖也は先妻の子だから、志保よりも十歳年上で、すでに酒造会社の専務として実質の経営に携わっている。妹の真紀は高校三年生だ。公立高校に通うから男女共学で、演劇部に入っていて、どうやら役者になるらしい、と志保は思っている。
「志保は、家にいたければ、家にいていいのよ」
母の美子が、志保が可愛くて仕方がなくて、会社勤めなどしなくても家で好きなことをすればいい、と思っていると理解している。酒造会社の社長を務める父の陽介にしても、跡取りは長男聖也がいるし、長女の志保には淑女でいてほしい、男、父親の望でもある。
「就職するなら、銀行がいい、信用金庫でもいい、金融系がいいな」
陽介はすでに還暦前で、先妻は聖也を産んでから病死して、五年経って美子と結婚した。志保はその後に生まれ、女の子だったから、お嬢さま教育を受けさせてきた。
「お姉ちゃんは、おっとりしていて、あほなんよ」
「どうしてよ」
「だって、バイトもしないで、ピアノもしないで、モラトリアムでしょ」
妹の真紀は、なかなか辛辣に姉の志保を評価してくる。たしかに言われるとおりかもしれない、と志保は納得する。真紀は高校を卒業したら東京の演劇ができる大学へ入って、役者になりたいとの希望だ。勉強の方は出来たから、たぶん志望する大学へ入学するだろうな、と志保は思う。
「お勤めは経験のひとつだから、銀行、いいわね、受けなさいよ」
美子が志保に、陽介からの受け売りで、銀行に勤めることを勧める。地元の信用金庫なら、陽介から口利きもできるという。
 真紀の誕生会は家族だけの五人だ。母美子が手作りのチラシ寿司、バースデーケーキは丹波橋の洋菓子店で作ってもらった。家族五人が集まるというのは、半年ぶりだ。この日は、お泊りするのではなく、ワンルームの学生マンションに戻る予定だ。誕生会が始まるのは夕方で、大きなガラスの引き違い窓がはめられたリビング。テーブルが置かれ、テーブルクロスが掛けられ、丸いバースデーケーキがおかれた。洋食と云いたいところだが、と美子がいいながら、丸い桶に入れられた手作りのちらし寿司が置かれる。シャンパン、ワイン、それに会社で作っている吟醸の酒だ。
「こうして、みんな集まると、たのしいね」
「そうね、ママ、うれしいんでしょ」
「真紀も十八、受験だし、受かって東京住まいになると、淋しいな」
「お姉ちゃんだって、この家にいたらいいのに、ひとり暮らし」
「そうね、みんな、独立してほしいのよ、乾杯、志保ちゃんおねがい、ね」
ホームパーティは一時間ほど、志保は、高校三年まで過ごした自分の部屋へ入った。電気を点け、グランドピアノが置いてある十二畳の部屋だ。懐かしい匂いがこもっている。愛用していた机や椅子。ベッドもそのままだ。寝泊まるするときには、この部屋を寝室にする。部屋に入ってしばらくすると、懐かしさもあり、泊まって帰ろうか、とも思ったが、もう、ここにいても落ち着かない気持ちだから、帰ろうと思った。懐かしいピアノの蓋をあける。椅子に座る、フェルトのカバーをはずすと88音の鍵盤が並んでいる。志保は、右の中指で、真ん中の鍵盤をコンコンと叩く。ピアノの音がする。指三本で三つの鍵盤を叩く。中音域の音が響く。懐かしさが込みあがってくると同時に、いくつもの思い出の光景が浮かんでは消えていく。志保は、ひとまずフェルトを敷いて蓋を降ろした。

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愛の夢-17-

-17-
 志保がピアノをやめたのは、自分の能力に疑問を持ったからだ。ピアニストになろうと思ったら、練習を積み、音楽大学のピアノ科に入学しなければならない。それほど熱心ではないから、大学に入るとき、実家にいてピアノと親しむより、ひとり暮らしがしたくて、実家を離れたのだ。かれこれ三年前の話だ。大学は社会学部でこれといった専門研究をすることもなく、卒業して会社勤めをして、彼氏を見つけて、結婚して、家庭を持って、子供を産んで、育てて、という目に見える自分を考えたくなかったけれど、そうなっていくんだろうなという漠然とした思いがあった。大学に入った五月の連休に、文化研究のサークルに入ってのコンパがあって、先輩と懇意になって、二人だけで会うようになって、少し酔っぱらって帰るとき、先輩がついてきてくれて、繁華街から少し離れたところで、ホテルへ行こうと言われ、それは困ると思って断って、別れてしまって、それから話しかけられたけれど、志保の方がのらなかった。少し恋心を描いたけれど、それで恋は終わり、それ以降、交際する相手はいないままに至っていた。
「それで、どうしたのよ、そのまま、なにもなかったの」
「そうよ、なにもなかったよ、けいちゃんっていうんだけど、でも、好感、持てる人よ」
「まあ、でも、男はみんなくせものよ、でも、でも、男がいなくちゃ、いけないでしょ」
「男がいないといけないって、それは可奈が思うことでしょ、わたしはぁ」
「いなくったっていいってゆうわけ、まあ、志保は、そうかもしてないな、淡白質だもの」
可奈は男なしではだめだというが、可奈にはそれはそれほどに思わない。性格の違いだといえばそうかも知れないと志保は思う。心の問題だ、と心理学の講義でわかったけれど、個人個人、個性があることを志保は知った。啓介のオフィス兼スタジオで写真を撮ってもらってから、一週間が過ぎた。親友の可奈と会ってお喋りしているときに、話題にしたのは、可奈が訊いてきたからだ。スタジオでの心の動きも、別れて電車に乗っていたときの心の動きも、人に伝えるほどのことではない、自分の中で秘めていたらいい、くらいに思っていた志保だ。
「恋人がいない生活なんて、つまらないでしょ」
「そうかなぁ、別に、そんなのいなくったって、つまらなくないよ」
「志保は、お嬢様だし、奥手だし、安全をしか踏まない女の子なんだ」
「そんなことないよ、いい人に、巡り合わないだけよ、わたし」
内心、志保は、啓介のことが気になっている。LINEでメッセージが来ないか、昨日あたりから気が気ではないのだ。でも、素保は、そのことを可奈に言ったところで、どうにかなるものでもないから、と思って言わない。可奈にはお嬢さまぶってると言われるけれど、その、お嬢さま、っていうイメージが明確にはわからない。第一、男、っていう言葉が好きでない。男の人、男性、そういう言い方ならいい。男っていう言い方は、志保にはセクシュアルなイメージで動物的な匂いがするのだ。
<好きかどうか、わからない、こんな気持ち、好きだということかも知れない>
志保は、心がざわついていることを認める。ざわつく原因が啓介にあることも分かる。LINEがきたら従おうと思う。

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愛の夢-16-

-16-
 手を握り合うこともなかった。カメラマンの啓介は、下心がなかたっとはいわないが、急いで失ってしまうより、もう少し見守ろうと思ったのだ。志保の表情がまだ硬かったし、よそよそしかったからだ。志保にしてみれば、求められれば応じようと思っていたが、撮影の現場では、モデルになることに必死で、そんな気持ちは起こらなかった。啓介が誘った喫茶店は、昭和の感じで、木目調のテーブルだ。椅子はアンティークの店で売っているようなクラシックな椅子だ。志保とはテーブルを介して座った啓介が、何を飲むか、と聞いてきた。志保は、コーヒーでよいと答える。
「でも、志保ちんは、ピアノが上手なんだろ、聞きたいな」
「もう、大学に入って、ひとり住まいで、練習していませんから弾けません」
「家にピアノはないの、電子ピアノとか」
「ありません、わたし、もう、いいんです、普通のOLでいいんです」
目線をテーブルに落とした志保の表情が、啓介にはくぐもった感じに思えた。憂いある表情だ。寂し気な表情だ。
「もう、就活、はじめるんだろ、三回生だし」
「あんまり、乗り気じゃなくて、いやなの、そんなの」
小柄で豊かではないバストに見える志保を、啓介は興味深く見つめる。見つめているのを志保が感じて、目をそらす。
「そうなの、いやなのか、じゃ、フリーター、とか」
「そうね、バイトでつないでいこうかな、無理しないで」
カメラマンの助手になってもらうには、まだ収入が確保できていない啓介だ。でも、関係を続けたい。志保を目の前にしながらそう思う。
「そうだよ、カメラマンだけど、仕事がなくって、つい、ブライダルの方へ」
「カメラマンのお仕事って、でも、サラリーマンじゃないからいいんでしょ」
「いやぁ、気持ちは、クリエーターでいたいけど、サラリーマンみたいんものさ」
志保の視線が気になる。チラチラと目線をあげ、啓介を見る志保だ。その目線を感じる啓介だ。
「また、モデル、お願いしてもいいかな、モデル料、払ってもいいんだけど」
「そうね、慣れたらモデル料いただこうかしら、バイトですよね」
「そうだよバイトでもいいんだけど、それなら服なんか、注文つけることになる」
「そうですか、コスチューム、いろいろ、コスプレ、わたし、興味あります、それ」
「そうなの、じゃあ、また、頼むとするかなぁ、志保ちんモデル」
派遣でモデル斡旋する会社に登録している大学の友だちがいて、志保は、斡旋の話を聞いたことがある。モデルなんて軽いもので、その気になれば、女を売って、お金にすることができる、ということも知識として知っている大学三回生の志保だ。
「じゃあ、また、LINEで連絡する、ばいばい」
地下鉄の改札まで送ってきて、改札の向こうへ行ってしまった志保の後姿を見る啓介だ。半日もない時間だったが、かなり親密になれたと思う。改札の向こうに消えてしまった志保を確認して、恋したかもなぁ、と啓介は、ひとりつぶやいた。

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愛の夢-15-

-15-
「もう少し、顔をあげて、そうそう、目線はカメラに向けて」
六畳フローリングの部屋はスタジオで、畳にして二枚分ほどの床が立つ位置だ。志保には初めての体験、スタジオモデル。さほど明るくはなく、アンブレラからの光で顔を照らされている。撮影の時はブンという音と共にストロボが光るから、眩いばかりだ。
「そうそう、右手を肩にまでもってきて、顔はこっち、いいね、可愛いね」
狭いスタジオで、撮影されていく志保は、なにかしら、変な気持ちになってきて、良い気持ちだ。悪い気持ちではない。なんだか知らない世界に来ている感じで、ぽ~っと顔が火照ってくるのがわかる。数カット撮られて、休憩にはいる。
「どう、モデル、可愛いから、素敵に撮れてると思う、ほうら」
カメラの後ろのモニターに、自分の上半身ポートレートを見せられる志保だ。明るいポートレートだと思う。暗いイメージはない、明るいイメージだ。
「恥ずかしいなぁ、こんなわたし、ブスでしょ、恥ずかしい」
「どうして、ブスなんて、そんなこと、ありえない、グラビアモデルになるよ」
スタジオの向こうの部屋は暗くてよく見えないが、啓介は、四畳半のオフィスとスタジオを往ったり来たりで、目まぐるしく動いている。志保は、撮影が終わって、とっと疲れたな、と思う。慣れないから、緊張してたから、疲れたのかも知れない。
「どう、ジュース、飲んで、喉を潤したら、いいよ」
「はい、ありがとう、でも、あとで、いただきます」
肘掛椅子がある。アンティークな椅子で、クラシカルな撮影に使う道具だ。啓介が、志保を見ている。志保は見られていることを意識する。啓介と二人だけだ。志保は、ソワソワする。何事かが起こりそうな気配を感じるが、啓介は平然とカメラの位置を変えたりして、志保とは、目線が合わないようにしていると、志保が感じるのだ。志保には、その覚悟が出来ているといえば出来ている。インナーは真っ白のシュミーズに白のブラとショーツだ。万が一そのことになったときを、志保は、想定していて、その時には初体験、受け入れようと思っていた。
「うん、今日の撮影、終わったよ、ここは狭いから、向かいの喫茶店へいこうか」
啓介は、何もしないで、撮影だけして、道路の向こうにある喫茶店で話をしようというのだ。志保は、素直にしたって、エレベーターで降りて道路の向こうのアンティークな喫茶店へ入った。

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愛の夢-14-

-14-
 803号室は2DKマンションで六畳と四畳半と二畳のダイニングキッチンそれにバストイレだ。啓介は無理して南森町のマンションをオフィスとすることで、新大阪近郊よりも仕事的に優位になると思っている。見栄もある。女にもてたいという願望もある。フローリング六畳がスタジオ、フローリング四畳半がオフィス、二畳のDKにはシングルベッドがあって、バストイレに隣接していて寝室に使っているのだった。
「うん、そうなんだ、ここがスタジオ、狭いけど、この倍は欲しいんだけど」
啓介は、ストロボセットとホリゾントを備え付けたスタジオを志保に見せる。手前のオフィスは机があり棚があり、棚にはカメラ道具が置かれてある。狭い空間だ。志保は、その狭さに窮屈さを感じたが、都会の真ん中だから、それなりに納得してしまう。DKとBTは閉められていて志保には、まだ見せていない。可愛い膝上スカートを穿いた志保。うえは白いフリルがついたブラウスだ。啓介はジーンズにカメラマンチョッキを着ていて、いかにもカメラマンという格好だ。
「そうなんですね、わたしの部屋は、もっと狭い感じですよ」
「大川さん、いや志保さんでいいよね、志保さんは京都」
「京都といっても向日町ってとこで、住宅街だし、ここはビルの中ですねぇ」
「仕事場兼生活する場ですよ、一人でやってる、独立したんです」
「どんなお仕事、してらっしゃるの、お写真で」
「雑誌、エディトリアルっていうか、アドバンテージングの方だよ」
オフィスのほうに窓があって、外は見えないけれど、光が入っていている。空調の音がする。啓介がオーディオのスイッチを入れる。
「ピアノの曲を聴こうと思って、リストの愛の夢、ラブズドリーム、手に入れたんよ」
ああ、弾きたいなと思ってる曲だ、と志保は思った。誰が弾いてるんだろ。
「わたし、この曲、好きです、弾きたいと思って楽譜、買いました」
「そうだね、ぼく、知ってるよ、あの心斎橋で買ってたの、見てたから」
「音楽、詳しいんですか、向井先生」
「そんなに詳しくないですよ、それに先生じゃないよ、ぼく」
「写真の先生、じゃ、なんていえばいいのかしら、先生」
「けいすけ、けいちゃんでもいいよ、みんなそう呼んでるから」
啓ちゃんと呼ぶことにして、志保は、志保ちんと呼ばれることにして、ふたりの間で呼びあう名前を確定させた。志保は、啓介のことをなんだか好きになりそうな気がしている。身近に感じる。親しく感じる。スタジオで撮影してもらう。コマーシャル写真は、こんなところで撮ってるんだ、と志保は啓介の説明で、理解した。撮影が始まる。志保がモデルだ。スタジオでモデルになるのは初体験だ。男の人と二人だけになることは初体験ではないが、体のことは未体験の志保だ。21才にもなって未体験ばかりのお嬢さま、世間知らずの部類だ。

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愛の夢-13-

-13-
 向井啓介のスタジオで写真を撮ってもらうという名目で、大阪天満宮へ行く大川志保。午後二時に行く約束なのに早くついてしまって、待つことにした。南森町から天神橋筋の商店街でぶらぶらしたあと、十分も早く到着してしまった。啓介が現れたのは五分前、志保が門から入ってくるのを見つけたけれど、知らんふりした。
「なんだお、大川さん、もう、来ていたんだ、待ったの」
「ううん、待ってなんかしてないわ、待ってなかったけど」
少しソワソワする気持ちを押さえようとして、志保は、うまく言葉がつなげられない。啓介は落ち着いているように見えるが、内心は、どうしようかと迷っているところだ。なにを迷っているのか。約束は、スタジオで写真を撮ることだから、マンションのオフィス兼スタジオへ来させたらいいのだ。
「可愛い服、着てるんだ、可愛いね、大川さん」
志保さん、とか志保とか、名前を言うにはまだ慣れていないから、啓介は志保のことを大川さんと呼んだ。志保は何と呼ぶだろうかと思うと、向井さんと呼んだ志保。
「向井さんに写真を撮ってもらうために、着てきちゃった」
AKBとかのグループ員みたいな洋服で久上スカート姿の志保だ。志保にしてみれば、男と会う、ひょっとしたらひよっとして、何かが起こるかも知れない、そんなことも考えながら、インナーは清楚な、可憐な装いになるようにした。リクルートスーツでは、似合わないと自分で思う志保だ。
「そうなんだ、写真を撮る用に、選んできてくれたんだ」
啓介は、女子を一人でスタジオへ連れていくことに、わけのわからない気持ちになる。啓介は27才、女子と二人だけになるということを思っている男子だ。経験がないわけではない。女子と交わった経験は、何度もある。意外と簡単に女子がスタジオへついてくる。啓介が思うのは、女の子が好きになってくれるタイプの男子だ、と思っている。容姿は悪くない、ファッションだって地味ながら流行りを取り入れている。カメラはキャノンだ。それなりの格好してるから、女子がついてくる。啓介が思うのは、女子が密かに望んでいるのだ、ということ。男が女子を見て抱きたいと思うように、女子だって男に抱かれたいと思っているのだ、と確信犯的に思うのだった。
「お昼ごはんは、食べてきたんだろ、大川さん」
「ええ、サンドイッチだけど、食べました」
「コンビニで、飲み物でも買っていこうか、スタジオには、何があるかなぁ」
「そうですね、わたし、カルピスかなぁ、それがいいです」
コンビニはセブンイレブン、プリペイドカードがあるからと啓介が支払う。スナック菓子を入れて630円だ。天神橋筋商店街を通ってスタジオが有るビル、マンションへ来て、エレベーターで八階へ。啓介のオフィス兼スタジオ兼居住空間は、八階803号室だ。

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愛の夢-12-

-12-
 駅前の喫茶店では、ワッフルにシロップをかけて食べるのが志保の好みだ。それを可奈はパンケーキにバターとシロップが好きだというのだ。窓ぎわのテーブルに向きあって座って、志保はワッフルを、可奈はパンケーキを注文して飲み物はコーヒーにする。学生価格でセットでワンコインだ。
「そうなのよ、女子は、いつも、泣くほうだと思うのよ」
「そうかしら、昔の話でしょ、そんなの」
「ハンディあると思うんだ、子供、産む方だし、男は産ませるだけよ」
「でも男女の役割分担で、それ、あるべき姿よ、人間社会の、そう思うわ、わたし」
「でも、あいつ、あかんのよ、無責任なのよ」
 可奈の心は、一年先輩で東京に就職先が決まって、遠距離か別れるかの瀬戸際に立っている苛立ちなのか、おっとり構えている志保には、理解に苦しむところだ。可奈からの話題は、彼の事、男の事、男を喜ばせるコツ、といった下ネタだ。
「おさかなソーセージ、それでね、練習しちゃったのよ、最初のとき」
想像力はそれなりに豊かだといっても、志保は、そのことの切羽詰まりはないから、具体的すぎて話題を変えたいと思ったけれど、興味ある話でもあるから、経験者の可奈の話に、聞き込んでしまう。
「ちょうど、握れるくらいのん、あるじゃん、硬いようで柔らかい、それよ、皮剝いて、口の中でぎゅっと吸ったりしちゃうの、よこにして、棒にして、ハモニカなんてかいてあったけど、横に唇でなめるのよ」
志保は、可奈のヒシヒシ話を聞きながら、ぽ~っとなってくる。連想するからだ。男のモノに類似のおさかなソーセージだ。まだ経験したことが無い志保には、可奈の経験談にも、嫌だとは言わない。聞かせて欲しいとせがむほどではないが、興味がないといえば、そんなことはなくて、脳裏に描くというか、バーチャルで見て、思うと、複雑な気持ちになる。
「そうなのよ、男って、勝手だからね、女の心なんてそっちのけ、自分だけみたいな」
「可奈ちゃんの相手が、そうなんじゃない、そうじゃない人探すわ、わたし」
「志保、したことないの?ひとりで、したり、するんでしょ」
可奈は、志保のやってきたことを、根掘り葉掘り聞きだそうとする。でも、志保、あっさり、淡白だから、一人ですること、経験あるけど、切羽詰まらないから、しなくてもいいお年頃なのだ。
 啓介からLINEで着信があった。可奈と喫茶店で話をしている最中で、会えないか、写真を撮らせてほしい、と云うのだ。可奈に言うと、会ってみたら、と云う。会ってそれからでしょ、会わないと、始まらないよ、と云う。それもそうだと思って志保は、返信する。折り返し啓介から、明日の午後2時、大阪天満宮の境内で、待ち合わせしようと記してきた。志保は、わかりました、と返信した。

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愛の夢-11-

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 学食メニューでよく食べるのは、志保も可奈もハンバーグランチだ。志保が12時過ぎに行くと、可奈はもう先に来ていて、テーブルにはハンバーグランチの皿がある。志保は、自販機で食券を買い、窓口で受け取り、可奈が座ったテーブルの前に座った。窓辺に近いテーブルは、明るい光でランチが映える。
「うううん、ちゃうのよ、わたしって、あかんのよ、あいつには、あかんのよ」
小柄で可愛い可奈は、一年上の大村慎吾という恋人がいて、街で会って、それから公園へ行き、陰にはいって抱きあうといった。その慎吾のことを、可奈は、あかんのよ、というのだ。なにがいけないのか、志保は、可奈に訊ねるが、明確な答えは返ってこない。
「あかん、ってなにが、いけないのよ、可奈の、あかんって意味、わからへん」
「あかんのよ、あいつ、だめなやつ、あかんのよ」
どうも、可奈は不満が溜まっているようだと、志保は思ったが、その具体的な内容は、可奈が告白しないとわからない。
「でも、すきなんでしょ、大村先輩のこと」
「それはそうだけど、あとしばらくで、卒業でしょ、東京なのよ、就職」
「別れるってわけじゃないでしょ、遠距離、すればいいんや」
「まあ、ね、それは、そうかも、ね」
可奈は、志保に恋人がいないことを熟知していて、当てつけに男のことを話題にするのだ。志保は、経験がないから、可奈のそのときの振る舞いというか姿を、想像するだけだ。男と女、女と男、と言っていい。
「そうね、週に一回くらいかな、公園で触られたりすると、わたし、もう、あかん」
「どういうことか、わたしには、意味不明だよ」
「だから、わたし、ついつい、ついていっちゃうのよ、あいつ、あかんのよ」
可奈は三人目だと、志保に告白したけれど、つき合った男子はもっと多いのだ。男と女の関係にまで至った男子が三人。その三人目がサークルで一年先輩の大村慎吾だというのだ。
「あいつ、すきん、持ってこないから、わたしが管理なのよ」
志保には、興味の範疇ではあるけれど、経験がないから、具体的なことはイメージできない。でも、知識はある。避妊の知識は、ネットで調べて分かっている。だが、そもそも、そういうものを使うということが、とっても滑稽に思えて、わたしなら、そんなの、いやだなぁ、と思うのだ。
「うっふふ、志保はおくてよ、時代に乗り遅れてると思うんだ、21だよ、わたしら」
「そうよね、もう、こどもじゃないものね」
「子供じゃないから、責任とれるじゃない、もしものときだけど」
「わたしは、いいのよ、あんまり、そういうの、興味ないから」
「そうだね、志保は、お嬢さまだし、奥ゆかしいし、美女だし、ね」
ハンバーグランチはボリューム満点で、男子にあわせた分量、もちろん女子でも食べ尽くす子もいるけど、志保には量が多すぎる。小柄な可奈にも分量は多めだが、体力をつけるためだと言って、ひそひそ噺のなかで、ぺろりと平らげてしまう。ランチが終わると、駅前にある喫茶店へスイーツを食べに、志保は可奈と一緒に行く。たっぷり、可奈のおのろけ噺を聴いてあげる志保だ。そういうことでいえば、志保は、無意識、潜在的に、好きなのかも知れない。

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愛の夢-10-

-10-
 秋の気配が漂う日々になってきた九月の朝、目ざめた時、志保はうっすらと淋しさの気持ちを覚えた。パジャマ姿のまま、ベッドに横たわったまま、目ざめて少しの時間だけれど、ぼ~っとしているのだった。この朝は、午前七時前だった。昨夜、眠ったのは午前一時頃だったから、睡眠時間六時間、少し寝足りない感じだが、気になることがあったから、淋しさの感情とともに、可奈の顔が浮かび、向井啓介の顔が浮かんだ。
<可奈とはお昼だから、十時半に家を出れば、いいんだ>
可奈とはLINEで、昼に学校で会う約束をしていて、学食で一緒に食べて、話をしようというのだ。淋しさは、秋の訪れ、夏の暑さを越えてきた身体と気持ちが落ち着いてきた証拠だ。ゆったり、朝寝して、ダージリンンのミルクティーとヨーグルト、それに六枚切りトーストを一枚、トースターで焼いて食べる。パジャマを着たまま、歯磨きと顔を洗いに洗面コーナーに立つ志保だ。パジャマの時はインナーはつけていない。裸にパジャマだ。ベッドには目覚まし時計があるけれど、セットしないことがほとんどだ。窓の遮光カーテンの隙間から光が射しこんでくる。
 洗面が終わり、パジャマのまま、ポットでお湯を沸かし、紅茶パックをマグカップに垂らし、冷蔵庫からトーストを取り出し、焼いていく。バターもマーガリンも使わない、苺ジャムで食べる。小さなちゃぶ台、フローリングにはカーペット、狭い空間だ。畳にして一枚半ほどの平面だ。そこにちゃぶ台だから、ますます狭い感じがする。実家ではピアノ室があり、自分専用の寝室があり、ゆったりしているが、自由に時間を過ごせないから、大学の二年生になって二十歳になったとき、独り生活を始めることができた。学校で、男の友達は、サークルとか研究会で、たくさんいるけれど一対一でつきあう男子はいない。可奈ほどに、興味がない、といえば嘘みたいだが、可奈の話題になる、それほどには、男子に想い入れる気持ちはなかった。
「淡白なのね、志保って、どうみても、淡白よ」
「そうかしら、わたし、でも、結婚したいし、旦那さん大切にしたいと思ってる」
「そうじゃないのよ、志保は、淡白なのよ、ピアニストめざしていたから?」
可奈との会話で、男との交際で、その体験を、可奈が語るのだが、志保には、それほど男子と結ぶことに興味がわかなかった。その可奈とは、今日のお昼に学校であって、お昼ご飯を食べて、おしゃべりする。向井啓介からLINEで写真を送ってもらい、夜にメッセージが届いてから、一週間が経っている。返信しないまま、啓介のほうからもその後メッセージは届いていない。

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愛の夢-9-

-9-
 夜が深まり、もう深夜になる時間、午後11時だ。LINEで返事が来るかと待っていたが、来る気配はなかった。啓介は少し落胆し、パソコンでYouTubeを開ける。YouTubeのアダルト系動画を見るのだ。男子が、女子のことを知る、そのためにあるような動画だ。あるいは女子が男子のことを知る、そういう動画サイトだ。啓介は男子だから、女子の裸体が現れる動画を見る。なまぬるいといえばなまぬるいが、誰にも知られないまま鑑賞できるから、重宝している。
<志保かぁ、大学三年生かぁ、水玉のワンピ姿、清々しいイメージだよな>
志保の姿と表情が、写真に撮ってあるから、啓介は、その志保の表情と姿を見て、YouTubeの女子を見る。
<ピアニストになるのが夢だったのか、志保のピアノ、聴きたいな>
 志保を最初に見かけたのは心斎橋のヤマハだった。ピアノの楽譜が置いてある棚の前にたたずんでいた志保を見かけたのだった。ショートカットの髪の毛がボーイッシュにも見えたが、顔をみるとそれは清潔で可愛い女子学生、という感じで、啓介には、なにかしらを訴えかけてくるテレパシーの波を感じたのだ。一目惚れ、といえばそういうことだけど、相手がどう思ってくれるかわからなかった。あとをつけていくと戎橋のグリコの看板が見える処に立ち止まったのを見て、写真を撮らせてほしいと、声をかけたのだった。芸大で写真を学び、ブライダルの会社でアルバイトをしながら作家を目指している啓介だ。どうしてだったか、声をかけ、お茶を誘って、ついてきた志保だ。カメラマンに憧れている、そんな風にも思えた啓介は、おそるおそる次につないで、それが今日の撮影だった。
 啓介がYouTubeの動画を見ながら、独りで男の性欲を処理するときに、志保のことを脳裏にイメージしながら、処理に耽るのだ。志保に、彼氏がいるのかどうか、気になる処だが、最初の時についてきたということは、たぶん彼はいない、と推測する啓介だ。しかし、YouTubeの動画に男女の絡むシーンがあって、啓介には、志保が同じようなことをしている、いま、ひょっとしたら、こういうことをやっている最中かも知れない。もう遅い時間だから、終わっているかも知れない。彼氏がいるからLINEで、返事がないのかも知れない。啓介は、アンハッピーな方へと思いをおとしていくのだ。そもそも、啓介には悲観するフェチ体質があるようなのだ。さて、次の手は、と啓介は考え思うのだった。

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